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東京高等裁判所 平成元年(ネ)3379号 判決 1990年6月28日

控訴人

甲山A夫

甲山B雄

右両名訴訟代理人弁護士

斎藤尚志

被控訴人

富士タウン開発株式会社

右代表者代表取締役

乙川C郎

右訴訟代理人弁護士

新壽夫

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

理由

第一詐欺による本件売買契約解除の主張について

一  請求原因1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  右争いがない事実に、≪証拠≫並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  控訴人甲山A夫(昭和四二年○月○日生)及び同甲山B雄(昭和四三年○月○日生)は、いずれも丁松男と甲山D子(以下「D子」という。)との間の子である。

2  丁松男は、本件不動産を所有していたが、昭和五三年五月三一日死亡した。

丁松男には、控訴人らを含めて十数人の子があり、控訴人らは、丁松男の死亡により、それぞれ本件不動産の一六分の一の持分を相続した(丁松男が中華民国(台湾)の国籍を有していたことは当事者間に争いがないから、法例二五条により、その相続については中華民国法が適用されることになるが、中華民国法の下において控訴人らの取得する持分が右と異なることになると認めるべき証拠はない。)。

3  本件不動産の昭和六〇年度の固定資産税評価額は総額一八億二〇〇〇万円を超えているが、その中で最も財産的価値の高い本件(七)の土地(昭和六〇年度の固定資産税評価額が一六億円余となつている。)については、丁松男の生存中である昭和五二年八月二二日に井上工業株式会社に売買による所有権移転登記がなされ、さらに同年一一月五日に東海興業株式会社に売買による所有権移転登記がなされており、丁松男から同月三一日、右各所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟が提起され(東京地方裁判所昭和五二年(ワ)第一〇三四一号)、丁松男死亡後は相続人が承継していた(以下「別件抹消登記訴訟」という。)。

また、国は、丁松男が昭和五二年一月一八日に本件(七)の土地を株式会社須藤工業不動産部に代金一二億円余で売却したとして、昭和五六年三月六日、相続人らに対し、右譲渡所得課税分を含む納付税額六億二六一五万五六〇〇円の更正処分及び過少申告加算税三一二七万一八〇〇円の賦課決定処分(以下「別件課税処分」という。)を行つたが、丁松男の相続人の一人である丙谷(旧姓丁)E美は、右賦課決定処分に対し、その取消を求める訴訟を提起し(東京地方裁判所昭和五七年(行ウ)第一四二号。以下「別件課税処分取消訴訟」という。)、現在係争中である。

4  被控訴人の嘱託の地位にあつて、不動産取引の営業の仕事に携わつていた丁沢F介(以下「丁沢」という。)は、被控訴人の代理人として、控訴人らから本件不動産の各相続持分を買い受けるべく、昭和六〇年五月末ないし同年六月初めころから、控訴人らの親権者であるD子を訪ね、各自の相続持分一六分の一をそれぞれ金一〇〇〇万円、合計二〇〇〇万円で買い受けたい旨申し入れた。

丁沢は、D子を訪ねるに先だち、丁松男の相続人である戊野G代、丙谷E美、己原H子らに対しても、本件不動産の同人らの相続持分の買受け方を申し入れたが、戊野G代からは、「別の会社から相続持分一六分の一を五〇〇万円で買い受けたいという申込みがあつたが、被控訴人が一〇〇〇万円で買い受けてくれるなら被控訴人に売り渡してもよい」旨の話があつたので、同人らとの間で右代金による買受け交渉をしており、これらのことをD子にも話した。

5  D子は、右申出を承諾し、同年六月一五日、被控訴人代表者との間で、控訴人らの各相続持分を代金合計二〇〇〇万円で売り渡す旨の本件売買契約を締結したが、右売買契約においては、別件課税処分についての納税肩代わり条項などが合意され、代金の半額一〇〇〇万円は、同日支払われた。そして、残代金一〇〇〇万円は、同年一一月ころ支払われ、所有権移転登記手続に必要な印鑑登録証明書等がD子から被控訴人に交付された。

6  被控訴人は、昭和六〇年七月一九日、丁松男の相続人である庚崎I美、辛田J代、壬岡K代の三人との間で、同人らの所有する本件不動産(ただし、本件(五)の土地を除く。)の相続持分合計一六分の三を代金六億二〇〇〇万円で買い受ける旨の契約(以下「別件売買契約」という。)を締結した。右契約においても、本件売買契約と同様の納税肩代わり条項が盛り込まれていたが、他方、代金の支払いなどに関して、契約当日に手付金二二〇〇万円を支払うものの、中間金四〇〇〇万円の支払時期については、他の相続人からの相続持分の買受けの状況に応じて双方が協議して定めることとされ、また、残代金五億五八〇〇万円の支払時期についても、一応の期限として昭和六二年七月二〇日が合意されたが、右期限は、被控訴人が中間金三八〇〇万円を支払うことによつて昭和六四年七月二〇日まで延長され、さらに同日までに残代金の支払が不可能となつたときには、「解約か延長か、売主・買主双方共真摯に誠意を以つて協議し、これを決定する。」との解約協議条項が合意された。これによると、売主である右庚崎I美ら三名が確実に受領できるのは、手付金二二〇〇万円及び中間金三八〇〇万円、以上合計六〇〇〇万円にとどまり、それ以上の代金を受領できるか否かは、その後の事情によるものであつた。右売買契約はその後解除された。

三  控訴人らは、本件売買契約締結に当たり、丁沢及び被控訴人代表者乙川C郎は、D子に対し、既に丁松男の相続人のうちの己原H子らから本件不動産の相続持分を買い受けており、他の相続人との間にも近く売買契約が成立する予定で、売買契約の交渉が整つていないのは控訴人らだけであり、控訴人らが本件売買契約の締結に応じなければ控訴人らが重大な損害を被るだけでなく、他の相続人に迷惑がかかると虚偽の事実を申し向け、その旨D子を誤信させて本件売買契約を締結させた旨主張する。

前記認定のとおり、本件売買契約の締結交渉において、丁沢は、D子に対し、丁松男の相続人である戊野G代、丙谷E美、己原H子らに対して同人らの有する本件不動産の相続持分の買受け方を申し入れた旨、及び右申入れに対して戊野G代は同人らの有する相続持分を一〇〇〇万円で売り渡してもよいという意向を示した旨を告げたことが認められる。

しかしながら、証人甲山D子の証言によつても、丁沢及び被控訴人代表者が本件売買契約の締結に当たり、D子に対し、丁松男の相続人のうち被控訴人との間に売買契約締結の交渉が整つていないのは控訴人らだけである旨、又は控訴人らが本件売買契約を締結しなければ控訴人らが重大な損害を被るだけでなく、他の相続人にも迷惑がかかる旨虚偽のことを申し向けた事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

四  また、控訴人らは、本件売買契約の締結に当たり、丁沢及び被控訴人代表者乙川C郎は、D子に対し、代金についても、当時の時価よりも著しく低額の二〇〇〇万円という価額を提示し、これが時価相当額であると虚偽の事実を申し向け、その旨D子を誤信させて本件売買契約を締結させた旨主張する。

1  たしかに本件不動産の昭和六〇年度の固定資産税の評価額は、一八億二〇〇〇万円を超えていることが認められる。

しかしながら、前記のとおり、本件(七)の土地については、丁松男の生存中に、第三者に転々と所有権移転登記がなされ、その抹消登記を求める別件抹消登記訴訟が係属中であつて、その権利の帰属は不確定であり、同土地分を除外すると、右評価額は二億二〇〇〇万円余にとどまる。また、前記のとおり、丁松男の相続人に対しては、税額合計六億五〇〇〇万円を超える別件課税処分がなされており、本件売買契約の納税肩代わり条項によつて、被控訴人は、別件課税処分にかかる納税債務を肩代わりすることになつている。

他方、証人甲山D子の証言によると、同人は、本件不動産の価格についてはよく知らなかつたものの、二〇〇〇万円の現金を取得できれば控訴人らの学資等にも充てることができることに魅力を感じて、喜んで本件売買契約の締結に応じたものであることが認められる。

2  もつとも、別件売買契約においては、相続持分合計一六分の三の代金として六億二〇〇〇万円が合意されている。このような代金額が合意された経緯は証拠上明らかではないが、≪証拠≫に徴すると、別件売買契約の売主は、別件登記抹消訴訟に主導的に関与していたもののごとくであり、別件売買契約の際には同訴訟の担当弁護士も立ち会つており、契約成立までに本件売買契約では見られない事情が絡んでいるようにうかがわれる。また、前記認定のとおり、別件売買契約においては、代金の支払や契約の解除について特約が定められており、売主側が確実に受領し得る代金は、合計六〇〇〇万円にとどまるものであり、それ以上の代金を受領できるか否かは、その後の事情によるものであつたのである。そして、同契約は、結局その後に解除されたことが認められる。

こうしたことのほか、係争物件を売買の目的とする場合の代金の定め方は、当事者それぞれの思惑や力関係等によつて大きく左右され、客観的な時価を把握することが極めて困難なものであることを合せ考えると、別件売買契約における代金額は本件売買契約において提示された代金額に比べて著しく高額であるけれども、両者を単純に比較することは相当でない。

3  以上のとおりであるから、本件に提出された証拠をもつてしては、本件売買契約について被控訴人から提示した二〇〇〇万円が時価よりも著しく低額なものであつたと断定するにはいまだ十分でなく、また、丁沢らが右二〇〇〇万円は時価相当額である旨虚偽の事実を告知してD子を誤信させたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

五  以上のとおり、本件売買契約について被控訴人による詐欺の事実は認められないから、詐欺による意思表示の取消を前提とする控訴人らの請求は理由がない。

第二納税債務の不履行による本件売買契約解除の主張について

本件売買契約書に納税肩代わり条項があることは、当事者間に争いがないところ、≪証拠≫によると、D子と被控訴人とは、別件課税処分取消訴訟が提起され係属中であることを認識したうえで、納税肩代わり条項を入れて本件売買契約を締結したことが認められる。

そして、別件課税処分取消訴訟が係属している以上、丁松男の相続人の納税義務の有無及び範囲が確定しない状況にあるものといわなければならないから、本件売買契約において納税肩代わり条項が合意された趣旨は、別件課税処分取消訴訟が決着し、最終的に納税義務の有無及び範囲が確定した場合に初めて、被控訴人がこれを肩代わりする義務があるものとすることにあると解するのが相当である。

そうすると、別件課税処分取消訴訟がなお係属中である現在において、被控訴人の納税肩代わり義務はいまだ履行期にあるとはいえないから、被控訴人の債務不履行が成立する余地はなく、右債務不履行を理由とする解除の主張は理由がない。

第三中華民国民法の適用による本件売買契約無効の主張について

控訴人らは、中華民国の国籍を有する丁松男の相続関係については、法例二五条により中華民国民法が適用され、同法によると、分割前の遺産は「公同共有」とされ、その間は分割請求が許されず、公同共有物の処分には相続人全員の同意を必要とするとされているところ、本件売買契約は、丁松男の遺産である本件不動産について未だ分割がなされない状態において各相続人の各相続持分を処分するというものであるから、中華民国民法の規定に反し無効である旨主張する。

そこで、検討するに、本件においては、本件不動産の相続人による承継が直接問題とされているのではなく、相続人に承継された本件不動産の持分を相続人が第三者に処分した行為の効力が問題とされている。相続に関する準拠法により不動産を共同相続した相続人が、分割前に他の共同相続人の承諾なく、当該不動産に対する自己の持分のみを有効に処分できるか否かは、共同相続人相互間の関係に関する問題であるとともに、不動産に関する物権の得喪を目的とする法律行為の効力問題の一環として判断されうる事柄である。そこでは、相続関係者の立場にとどまらず、取引の安全すなわち第三者の利益の保護が考慮されなければならない。相続財産の取引であることから、相続問題にあたるとして、相続関係者の内部的法律関係を規律することを主眼とした法例二五条を適用することは、右の要請に適切に応えうるものではない。

ところで、法例一〇条は、物権問題については、目的物の所在地法によると定める。その根拠は、物権関係はもともと物の直接的・物質的利用に関する権利関係であるから、それに対しては目的物の現実的所在地の法を適用するのが自然であり、これにより権利関係の目的を最も円滑かつ確実に達成できること、また、物権はもともと物に対する排他的支配たる本質をもつものであるから、第三者の利害関係に影響を及ぼすことが極めて大きく、第三者の利益を保護するという要請は、目的物の現実的所在地の法を適用するときに最も簡単かつ確実に満足せしめられること、以上の二点にあると解されている。

法例二五条が適用される相続問題の範囲は、前記のように相続関係者の内部問題であり、他方、法例一〇条が物権問題については所在地法によると定めている右の趣旨を考えると、本件のように相続財産が第三者に処分された場合の効力が問題とされているときには、前提となる相続人の処分権の有無も含めて全体が物権問題に該当するものとして、法例二五条ではなく、法例一〇条が適用されるものと解するのが相当である。

そうだとすると、本件不動産の所在地法である日本民法の規定により、相続人は、遺産分割前であつても、他の共同相続人の承諾を要せずに各自の相続持分を売買することができるのであるから、本件売買契約は有効というべきである。

控訴人らの主張は採用することができない。

第四結論

以上によると、控訴人らの本件請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないから、これらを棄却する

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 岩井俊 坂井満)

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